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第6話|潰れる……このまま終わるのか、と本気で思った話

 

── 「あそこは、すぐ潰れる場所ですよ」

 

すべてを失ったあと、最後の覚悟で立ち上げたのが「キッチンムロオカ」でした。

ところが契約を結んだすぐ後、契約したとことは違う知り合いの不動産屋はこう言い放ちました。

 

「この物件、長く続いた店はしばらくありませんよ」

 

それでも僕は、心のどこかでタカをくくっていた。

**「経験もあるし、自分なら大丈夫だろう」**と。

 

幻のスタートダッシュ

 

オープン当初は“カツ丼をメインにスタート”。

初月は想定を大きく上回る客足で、「ほら見ろ」と胸を張った。

しかし4ヶ月目、売上は前月比マイナス40%。

撒いたチラシは反応ゼロ。

立地の不便さと駐車場の狭さが、数字に牙をむき始めました。

 

心を折った一言

 

そんなとき、来店したお客様に率直に言われました。

 

「この場所じゃ、長くはもたないよ」

 

またか。。。

 

内容も吟味しての率直な意見でした。わかっていたつもりの現実を、真正面から突きつけられた瞬間でした。

 

厨房の奥で崩れる日々

 

自信も、プライドも、日ごとに削られていく。

仕込みは雑になり、味はぶれ、廃棄が増える。

キッチンに立つ自分の姿さえ、ぼんやりとしか浮かばなくなっていた。

 

家では「もう飲食なんて嫌になりそうだ」とこぼすことが増え、

肩の力は抜け、息だけが重くなる。

 

——それが、ムロオカ創業4ヶ月目。

人生で一番暗かった時期でしたが、この底があったからこそ、後の再起につながります。

第5話|すべてを失った話

 

── それは、全部、自分で選んだことだった。

 

とにかくつまらな過ぎた。

接客、料理、現場が大好きな僕は、裏方業に集中出来なくなっていった。

順調に見えていた経営の裏で、

自分の中に、じわじわとヒビが入っていました。

 

「何のために続けてるんだろう」

「この先に、自分の居場所はあるのか」

「もし裏切られたら──」

 

不安ばかりが頭をよぎって、

気がつけば、誰のことも信じられなくなっていたんです。

 

大好きだった料理にも向き合えず、自分の立つお店の空気は重くなっていきました。

やがて僕は、店を現場の店長たちに任せ、少しずつ距離を置きました。

そして本部の社長という立場も、信頼していた人物に譲りました。

 

「もう、自分がいなくても、回るだろう」

そんな甘さが、どこかにあったんだと思います。

 

でもそのたった9ヶ月後の──2020年。

コロナが、すべてをひっくり返しました。

 

最後に残っていた1店舗さえも、

気づいたときには、他人の手に渡っていて、

僕の名前は、どこにも残っていませんでした。

 

通帳にも、予定表にも、僕の居場所はなくて。

残ったのは、やり場のない虚しさだけでした。

 

「終わった」──そう思ったとき、不思議なくらい何も感じませんでした。

怒りも、悔しさも、涙も出てこなかった。

ただただ、空っぽでした。

 

でも、ふと思ったんです。

これは全部、自分が選んできた道だったって。

 

誰のせいでもない。

逃げたのも、任せたのも、譲ったのも、自分だった。

 

── 安心してください。

このあと、もっと深く、落ちていきます。

  

 

 

 

 

 

 

第4話|僕の原点の話

 

── 台所に立つのが、ただ嬉しかった。

 

幼い頃、家の台所で袋麺を作るのが好きでした。

お湯を沸かして、もやしや卵を入れるだけ。

それだけで、なんだか胸が高鳴った。

一生懸命に作ったインスタントラーメンは、自分史上最高にうまかった。

 

高校を中退して、最初に入ったのは近所のホテルの厨房。

皿洗いに皮むき、盛りつけ……

地味な作業ばかりだったけれど、不思議と物凄く楽しかった。

「この世界が僕の居場所だ」と、自然に思えた。

 

そこから、神奈川で本格的な板前修行へ。

今の時代あり得ませんが、

エアコンも風呂もない寮に住み、手取りは月8万円。

朝6時半から夜9時過ぎまで働き、休みは週に1回だけ。

まさに“地獄”みたいな毎日でしたが、不思議と料理を嫌いになったことは一度もありませんでした。

 

群馬に戻ってからは居酒屋に入り、やがて店長に。

この頃から、料理だけじゃなく“商売の面白さ”にも惹かれていきました。

人が集まり、笑い、酔い、帰っていく。

その流れをつくるのが、たまらなく面白かった。

 

そして24歳で独立。

最初の店「居酒屋 平八」は、ありがたいことに繁盛させていただき、翌年に2号店、その次に3号店…

 

30歳の頃には、5店舗を構え、社員・パート・アルバイトを合わせて70人を超え、売上もケタ違いに伸び続け、街を歩くだけで風を切り、自分が何者かになれたそんな気がしていました。

 

思えば、人生のピークをあの頃に迎えていたのかもしれません。

 

安心してください。

このあと、ちゃんと転落します。

第3話|室岡定食の話

 

 

── 一つのお盆に、店の軸が定まった。

 

「名物は何ですか?」と聞かれたとき、胸を張って出せるようになったのが**『室岡定食』**です。

 

主役は、人気の海老フライともつ煮。

それを一度に楽しめる、ムロオカの“看板セット”。

 

さらに、自家製ドレッシングのサラダ、4種のダシで取る豚汁、人気の塩コロッケまでそろえた“満腹保証”のお盆スタイル。

 

単品ではなく定食にした理由はただ一つ。

せっかく不便な場所まで来てくれたお客様に、「ここまで来て良かった」と言い切ってもらいたかったから。

 

メニューに迷い続けていたムロオカは、

この定食の誕生で、ようやく“自分の形”を手に入れました。

 

海老ともつ煮が共鳴し

ようやく、自分の形ができた。。

でもこれは、ただの定食じゃありません。

ムロオカ定食は、僕の“人生のやり直し定食”なんです。

 

1〜3話ここまでは室岡を知らない方にも室岡を知っていただくためのお話。

ここから先は、少しだけ、僕の話をさせてください

 

 

第2話|もつ煮の話

 

 

── 3日かけても、仕上がらないことがある。

 

ムロオカのもつ煮は、仕込みから完成まで3日がかり。

ダシは7種、味噌は6種、煮込みに6時間。

でも、数字だけじゃ伝わらないんです。

 

煮込みすぎたらコクが濁る。

寝かせが浅いと、味がまとまらない。

かといって寝かせすぎると、香りが飛ぶ。

 

毎回、真剣勝負です。

 

“ガツン”ではなく“じわっ”と沁みて、

食べ終わったあとに「うまいな…」って、

静かに思ってもらえるような一杯。

 

こいつは、気を抜くと、すぐに機嫌を損ねます。

 

モツの脂の状態、肉の厚み、臭み――毎回ほんの少しずつ違う。

命をいただくというのは、そういうことなんだと思います。

 

そこに気温や出汁の状態も重なってくる。

それらすべてを、できる限りひとつに溶け込ませる。

 

「真面目に仕事しろ」

そう、毎日この鍋に教えられています。

 

怒らせたら、美味しくなくなる。

だからムロオカの料理の中でも、いちばん神経を使う。

いちばん思い入れがあって、いつも気を引き締めさせてくれる、そんな一杯です。

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